昭和婦人

終戦の直前に北陸の農家に末娘として生まれた、ごく平凡でな女性の人生のお話です。

東京へ。

 当時は皆、高校卒業後は長男のみが農家の家業を継ぎ家に残りました。

長男以外の男の子供は大体は他所で仕事を見つけるか、大学か専門学校に進学します。女の子たちも地元で仕事を見つけるか、家に残って家事と農作業の手伝いに専念して結婚までの時間を過ごすのが普通でした。稀に都会に仕事を見つけて働きに出る事もありました。

恵美子はごく少数の女生徒と同様に、高校を卒業した後、とりあえず東京に就職先を見つけることにして家を離れました。 東京の下町で下宿先を見つけて、一人で生活を始めることにしたのです。  

 慣れ親しんだ田舎の実家を離れて暮らすことは、田舎から出たことのない恵美子にとって寂しさや不安がなかったとは言い切れないですが、古いしきたりに縛られた富山という田舎の生活に正直うんざりしていたのも事実でした。 柵だらけで刺激の無い田舎暮し、実家の重苦しい空気といつも怯えて人の目から隠れている母親。そしてそんな義母に辛く当たる義姉を日々目の当たりにし続ける生活から解放されたいという願いがなかったとは言い切れませんでした。

 田舎を離れての東京での生活は、何もかもがとても新鮮でした。小さな一間のアパートに部屋を借り、電車に乗って 会社に通い、電卓や算盤を弾いて事務の仕事を覚えました。

 昭和30年代。まだ日本が貧しかった当時でも、 東京は田舎に比べれば物も溢れ、当時流行の新品の洋服や靴などを、少ないながらも自分のお給料で買い物をしては、おしゃれを楽しむ生活は、田舎で生まれ育った恵美子にとってはとても楽しい時間でした。 同郷の友人たちも少し電車で離れた場所に住んでいたこともあり週末には一緒に過ごしたりなどして、あまり寂しいなどとも感じることもありませんでした。

 田舎育ちでしたが、若くてそれなりに可愛かった恵美子は、初めての恋愛らしい経験などもありました。田舎の野暮ったい 農家の男たちしか周りにいなかった恵美子にとって、都会の男性たちはよっぽど洗練されて、会話も豊富で楽しく輝いて見えたのです。一度はある男性と真剣に交際して、実家に長兄に会わせに連れて行ったこともありましたが、 あっさりと兄にダメ出しをされて別れることになりました。家長である兄はいわば父親同然、逆らうわけには行きませんでした。

 そうこうしているうちに、あっという間に数年が過ぎて恵美子も20歳になっていました。

とある週末に里帰りをしていたところ、一番上の兄から突然「今すぐに美容院に行ってこい」と言わました。あたふたと髪結い&着付けをされて見合いに駆り出されたのです。初めてのことではありませんでした。

 予てから長兄がなんども見合いの話を、知り合いのつてで持ってきており、のらりくらりとはぐらかしたり、会っては見るものの速攻で断ったり、果ては見合いの途中で帰ってきてしまったりと、若い恵美子は見合い結婚など全く真剣に考えておらずやりたい放題でした。

 若くて世間知らず、そこそこお嬢様育ちの恵美子にとって結婚など何の切迫感もなく、真剣に考えていませんでしたが家長である兄にとって娘を嫁に出すのは親の仕事、早くに片付けなければ歳と共に難しくなってしいます。

 しかも東京でチャラチャラと暮らしている生活が長く続けば、結婚して落ち着くのがもっと難しくなるに違いないと焦った兄は、あれこれと親戚知り合いからお見合いの話を持ってきてもらっては、恵美子をお見合いに席立てるのでした。